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GV-HDRECにDiscordのボイスチャットをマイク入力する!(ケーブル取り回し編)

大変な事態になっている現状、無人島でのスローライフに心が傾きかけている昨今ですが、いかがお過ごしでしょうか。

まさかこの記事が4回も続くことになるとは…。

さて前回ケーブルを自作しましたが、この方法には欠点が2つあります。

  1. 自分の声がヘッドセットに入らないようにし、かつゲームの音もヘッドセットで聴きたい場合のケーブルの取り回しが非常に面倒
  2. 配信者はDiscordのアカウントが2つ必要で、うちひとつは全員の声をマイク端子に送るために最大音量で送出する必要あり

最悪、ヘッドセットからはDiscordの音声だけを流し、テレビの音でゲームの状況を把握できればよいのでしょうが、テレビの音をマイクが拾ってしまうとよくないので、できればテレビの音は消して対応したいものです。

接続方法1テレビの音とDiscordの音をミキシングして聴く

HDMIパススルーをONにすれば、マイクの音はテレビからは出力されません。これを利用して、Discordの音声出力とテレビの音声出力をミキシングして聴くことにします。マイクとヘッドホンが別々でも対応できるやりかたです。

4極→3極マイク/ヘッドホン変換アダプタをもうひとつ導入し、録音するスマートフォンなどに差し込みます。マイク端子にはマイクを差し込むのですが、ヘッドホン端子には短めのミニプラグを用意します。

テレビ側からは長めのミニプラグを用意し、Discord側の出力とこんな感じのスプリッターを介して接続するとよさげです。

これで完璧に自分の声を排除して遊ぶことができます。しかしケーブルだらけになって大変ですね…。

接続方法2 : USBデジタルミキサーを使う

これは実際に試してないので憶測になってしまうのですが、このようなヘッドセットを使うことでDiscordの音声とゲーム音声をミックスして聴くことができるようです。

お手頃価格なのでちょっと試してみたい…

GV-HDRECにDiscordのボイスチャットをマイク入力する!(ケーブル自作編)

Switch版「どうぶつの森」も出たので、通話しながらのオンラインプレイが捗りそうですが、いかがお過ごしでしょうか。

さて今回は元記事のコメントにてケーブル自作の方法がわからない…とお嘆きの方がいらっしゃったので、自分なりに自作した方法を解説します。

まずはこちらの画像を。最終的にどのような接続になるか、という図になります。

左の短いケーブルが自作したコンデンサ付きケーブルになります。

GV-HDREC本体(画像では省略)→4極3.5mmミニプラグと3極ヘッドセットの変換アダプタ→自作のコンデンサ入りミニプラグ延長ケーブル→抵抗入りの3.5mmステレオミニプラグケーブル→スマートフォンのイヤホン端子

最低限必要なパーツは下記です。

  • 3芯のシールド線(3色の電線でも可)
  • 3.5mmミニプラグオス
  • 3.5mmミニプラグメス
  • 2.2μF or 22μFのセラミックコンデンサ

元記事にも書きましたが、余裕を持って2個ずつ(シールド線は2mくらい)買っておくと一度は失敗できるので安心できます。

作業に入ります。

まずシールド線を長めに切り、ニッパーなどでシールド線をむいておきます。その後、オスメスの端子をバラして根元のパーツをケーブルに差し込みます。これをやらないとハンダ付けしたあとで後悔します。図のケーブルの長さだとちょっと短いです。50cmくらいがいいかも。

ここまで来たらいよいよハンダ付けします。

まずオス側の画像。

黒線を一番長い端子に、白と赤をそれぞれ短い端子にハンダ付けします。白赤はぶっちゃけどっちでも大丈夫です。どうせマイクの出力信号はモノラルなので。

で、問題のメス側。

わかりにくいので2枚に分けました。まずコンデンサの足の片側を曲げて長い端子の穴に通し、ハンダ付け。

非常にわかりにくいかと思いますが、コンデンサのもう片方の足を黒線とハンダ付けします。赤と白は残った端子のどちらにハンダ付けしても大丈夫です。

自分も陥ったのですが、むき出しの線が他の導通部や端子にぶつかると当然機能しませんので、注意深く線をまとめていきます。

そしてシールド線に通しておいた根元のパーツをコネクタにねじ込んで完成となります。

今回はメス側にコンデンサを付けましたが、内部パーツの余裕がほとんどないので、結構むりやりになってしまっています。見た目を気にしないなら、コネクタに収めることを諦めてコンデンサを外につないでしまうと楽です。

また見た目重視でシールド線を使っていますが、電線ならなんでも大丈夫です。むしろむいたりするのがちょっと面倒になりますので、とにかく簡単に! というのであれば電線を使ってしまうと楽かと。

お役に立てれば幸いでございます。

それは、いまでも、ビートのモンスターだ

このテキストは、「IIDX20周年お祝いWebアンソロジー」の参加コンテンツです。

1st style

稼働が予告されたその日、俺は神奈川県内某所のゲームセンターにいた。なにしろ1プレイ300円もするそのゲームが100円でできるかもしれない。そんな期待があってか、そのゲーセンには行列ができていた。

当時は学生時分であった。1日潰すつもりで朝からゲーセンに詰めていたが、交通費も馬鹿にならないくらいの移動をしてきている。元は取って帰りたかった。

何十人と並んでいたその先にあった筐体。遠すぎてよくわからなかったが、いったいいくらで稼働するのか。ゲームの内容はもうみんな知っているであろう。ほぼ全員の興味はそちらに向いていた。

長い長いセッティングのあと、その筐体に表示されたのは「CREDITS 0/2」の文字であった。

遠くから駆けつけ、並びに並んで、結局200円という可もなく不可もない価格設定に落ち着き、結局1回遊んで帰途についたのをよく覚えている。

その1回。1回目のプレイでほぼ全員が頭を悩ませる問題が、もうひとつあった。

左と右、どちらでプレイするか。

ビートマニアと違い、左右のプレイサイドでターンテーブルの位置が異なるこの筐体に、戸惑う者が続出したのだ。

行列の先で筐体に上がるプレイヤーを見ていると、多くのプレイヤーが慣れた右側を選択していることは明らかだった。

左か、右か。直前まで悩みに悩んで出した答えは、左だった。

他人と同じことをしていても面白くない、ならば俺は左を選ぼう。そんな理由だったはずだ。

当然だが、最初はとても戸惑った。左手で操作することそのものに慣れないターンテーブル。左利きの自分でさえもなかなか慣れず、ボタンの間隔が変わったりしていることもあって相当にストレスだった。

しかし決めたことは貫かなければ。無意味かどうかはともかく、こういうことにはとても頑固な自分がそこにいたのだった。

substream

IIDXが地元に入荷してほどなく、DDRとの連動が発表された。

稼働当初は300円だったIIDXも、このころには200円に落ち着き、遠征しなくても普通に遊べる状況になっていた。

ゲームを通じて知り合った仲間と、この「クラブバージョン」で遊ぶことは俺にとっても仲間にとっても嬉しいことだった。自分はIIDX側で遊ぶことが多く、あまりDDR側を遊ぶ機会に恵まれなかったものの、仲間との時間は他の何にも代えがたいものだった。

自分が楽しいのもそうだが、やはり他人を楽しませてこそ、自分の存在が活きるのだとこのとき痛感した。いままで生きてきた中でも、ネタを提供する側に立つことで仲間が増えた、その原点になる出来事のひとつだといえる。

IIDXがゲームとしてまだまだ苦戦していたとは思えないくらい、その存在は大きかった。

2nd style

この頃になるとようやく「らしい」曲が収録されるようになって、徐々にプレイ頻度が上がっていった。また、近場に100円で稼働している店ができたため足繁く通うことになる。

そんなある日その店でIIDXに並んでいると、たまたま中学の同級生と再会することになる。この出会いが、その後山梨に月1ペースで通うことになるほどの縁をつなぐことになるのだが、それはまた別の話である。

この頃から、難度の高い曲が入ってくるようになり、クリアがおぼつかない曲がちらほら出てきた。当時からインターネットランキングには積極的に参加していたのであるが、それほど高難度の曲を要求されないこともあって、回数をこなせばいいスコアが出せるようになっていた。

プレイスタイルもクリアよりスコアを狙う形にシフトしていき、徐々にではあるがついていけない曲が出てくるようになってしまった。

3rd style

おそらく、最も輝いていたシリーズであり、最も遊びこんだシリーズである。曲が大幅に増え、ビジュアル面も強化されたため新規のユーザーも取り込み、盛り上がってきたころだと言える。

そして、地元のゲーセンがついに100円で稼働させるようになり、プレイ頻度はさらに上がっていった。地元ゲーセンにライブモニターがいくつか設置されるようになって、すごいことをやっているプレイヤーには人だかりができた。

遊び方も広がり、とうとうダブルプレイに手を出すようになる。料金が下がったことから、練習ははかどり大規模大会にも挑戦するようになっていった。

まさに黄金時代だった。高難度のアナザー譜面をこなせる腕はなかったが、自分のやりたいスタイルで楽しく遊び続けたシリーズとなった。

しかしこの頃になると、ゲーム画面を映し出すモニターの表示が薄くなり、見づらくなる店が出てくるようになる。メンテナンスには知識と資金が要求され、なかなか修理に踏み出せない店が大半となっていた。

さらに、厳しい出来事が続いた。

4th style

地元に4thが入荷しなかったのである。この出来事は、プレイ回数を激減させるに十分であった。稼働当初に隣町のゲーセンに行って何度か遊んだが、あまりに混雑していた。

就職活動や論文執筆など、大学生活も大詰めとなって更にゲーセンが遠のいた。そのため、初期シリーズの中では思い入れがあまり強くない作品となっていた。

5th style

地元に5thが入荷したのである。しかしモニター部分の劣化が著しく、プレイを重ねるにはあまりに厳しい環境だった。

またポップンミュージック6の稼働が重なり、インターネットランキングへの注力をしていたことから、こちらもIIDXのプレイ回数を絞らざるを得ない原因となっていた。

就職したこともあり、主戦場は地元から会社最寄り駅、乗換駅へと移っていったのだった。

そして、あるとき立ち寄った途中駅のゲーセンが、個人的に大きな出会いをもたらすこととなる。

6th style

その人物は低難度帯のプレイを得意とし、俺とエキスパートで常にいい勝負を繰り広げていた。

宿命のライバルの誕生である。他に類を見ないレベルで切磋琢磨し、お互いを尊敬し、また許しあった。

インターネットランキングでは二人で行う部門にもこのコンビで積極参加した。いつしか、その相手を「弟」と呼ぶようになっていた。

そうして広がった仲間たちとは閉店後まで語り合った。あまりに楽しすぎた。

そんな仲間たちとの交流は、2年ほど続くこととなる。

8th style

その「世界」に入り浸るようになって1年ほどが経過していた。

8thの稼働日は会社を定時で抜け出し、一直線に仲間たちの待つ店に向かった。ああでもない、こうでもないとひたすらに盛り上がった。

その後も足繁く通い、笑いあい、切磋琢磨し、腕を磨いていった。

8thは稼働期間が長かったこともあり、おそらく3rdの次に遊んだシリーズと思われる。楽曲の充実度もとんでもなかった。

永遠とも思えた8th。仲間と過ごした時間も、格別のものだった。特に「弟」とは本当の兄弟のように何でも言い合った。実の性別は違えど、最高の仲間だった。

余談だがその「弟」と想い人は俺の後押しで結ばれた。末永く、幸せに。

9th style

しかしその楽しい時間にも終わりはやってきた。アーケードIIDXの暗黒期と言っても過言でない、厳しい時期の到来であった。

聞きかじりの知識で申し訳ないが、基板がWindowsベースのものに切り替わり、操作系とはUSBを介してつながることとなった。そのUSBドライバが不出来で、入力遅延を引き起こしていたのである。しかも、そのタイミングは不定期に揺れ動いていたのだ。

判定がぶれ、スコアが安定しない。

音ゲーとしての根幹を揺るがす変更に、多くのプレイヤーが戸惑った。そして、俺も例外なく、厳しさを覚えていた。

あまりにも苦しいこの変更に対し、IIDXからしばらくの間脱落することとなってしまったのだった。

IIDX GOLD

そんな隠居状態を続けていた俺に転機が訪れる。IIDX GOLDの登場であった。

HAPPY SKYの頃から少しずつではあるが遊ぶようになっていたものの、かつてのように足繁くゲーセンに通うようにはなっていなかった。

IIDX GOLDでは、新筐体の出荷が行われていた。その筐体で遊んだプレイヤーが驚きの声を上げる。

スコアが、出るのである。

そのスコアは、とてもそれまでの筐体で出るような代物ではなく、オンラインアップデートである改修が入ることとなった。

こちらも聞きかじりの知識で申し訳ないが、USBドライバの更新があったのではないかと噂されている。操作系と基板をつなぐ入力信号が安定化し、遅延は若干あるものの判定のぶれが起こらなくなったのである。

これは、クリアよりもスコアな俺にとっては僥倖であった。

そして、これをきっかけに、クリアするための力を向上させるための猛特訓をすることになる。アーケード版はやりつつ、家庭用でひたすら練習を重ね、使える指の数を増やしたのである。

この効果は絶大だった。万年6段で満足していた俺だったが、8段が取れるようになったのだ。難易度が12段階になってからというもの、Lv9で苦労していた自分がLv10でも渡り合えるクラスまで成長したのだ。

このことは俺をゲーセンに駆り立てるに十分だった。もっとうまく、もっと楽しく、遊べるようになりたかった。

DJ TROOPERS

はじめてのONE MORE EXTRA STAGE。

今まで高嶺の花だったそいつにチャレンジする機会を得たのは、一時期ゲーセンが消え、IIDXが絶滅していた地元に彗星のごとく入荷したDJ TROOPERSだった。

HYPERでも到達できるよう緩和されたその条件を満たし、緊張で震える手で集中力を高め、挑んだことが今でも忘れられない。

ゲージギリギリで突破し、完走したときの喜びは大きかった。自信につながった。

これこそが現在までIIDXを続けていられる成功体験のひとつといえるのだった。

HEROIC VERSE

そんな経験から12年の時を経て、未だ入れ込んでいるゲームとなったIIDX。腕前は年齢とともに落ちては取り戻しを繰り返していて、Lv10である程度戦えるレベルを維持するのがやっとという状況ではあるし、前作から8段が高難度化したため7段に甘んじていたりする。

それでも、40歳を超えても楽しく遊べるこのゲームを作り続けてくれるスタッフの皆さん、置いてくれるゲームセンターのオペレータの皆さんには本当に頭が下がる。

IIDX、まだうまくなる余地は残していると思っているので、なんとかこれからもまだまだ遊んでいきたい所存。

21年前に生まれた「ビートのモンスター」は、さらにLIGHTNING MODELという新しい力を手にして進化を止めることを知らない。

30作、40作と進むにつれどのような進化を見せてくれるのか?

雄々しく、強く、戦う相手として、期待を裏切らないことを望む。

ゲームミュージックライブ「GIGs 3rd」開催決定

「ギタドライブ!」から続くH.G.K.主催のゲームミュージックライブ「GIGs」の3回目が12/29に開催されます。
15日より、チケット予約が始まっております。
会場など詳細は公式サイトにて。
今回は基本的にH.G.K.のワンマンですが、ゲストが多数登場予定で、こちらも楽しみです。

「雑君保プ」を知っているなら選択肢は「買い」一択「雑君青保プ」

「ゲーメスト」を読んでいた方なら分かるであろう。
「ゲーセンおわらえ」ではお世辞にも上手いとは言えない絵柄ながら、複数のゲームを絡めた濃いネタ。
「読者サービス部」の片隅に載っていた、一瞬意味不明にも思えるような、深い4コマ。
アーケードゲーマーの心を刺激し続けた漫画家「雑君保プ」の集大成とも言える単行本、それが「雑君青保プ」および「雑君赤保プ」である。
「青」には前述の「読者サービス部」「ゲーセンおわらえ」をはじめとするゲーメスト掲載作品から、本単行本の発行元でもあるマイクロマガジンの「ゲームサイド」で現在連載中の作品まで、幅広く収められている。
総ページ数300余、カラーページも当時のままで掲載される豪華仕様で、1,600円は妥当といえるであろう。
「赤」には単行本化されていない連載作品「エロフラグラボ」や、キャラクターデザインを勤めたゲーム「キャプテン・ラヴ」までを収録。こちらは8月発売予定ということで、期待がかかる。
届いた「青」を読んでいくと、いきなりの「読者サービス部」4コマが並ぶ。最初のネタが誤植を扱ったものであることに、何らかの因果を感じずにはおれないが、その気分を吹き飛ばす懐かしのネタが次から次へと登場する。
「ゲーセンおわらえ」は、「ワールドヒーローズ2」1巻収録のネタを含む傑作選。「19XX」ではただの反戦漫画になっているせいか、表現に危ないものが多数含まれており修正されていたりするところも楽しめる。
上記の他にも微妙に修正されている部分があるので、探してみるのも一興である。
すでに現時点で2回読み返しているが、何度読んでもおなかいっぱい、本当に「欲しかった」ものが手に入って嬉しい気分でいっぱいである。
これは紹介せずにはおれない。
なお、内容が気になる方は特設ページにて内容の約1/3が読めるので、当時のままのクオリティを体感していただきたい。
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購入はこちらで。一般書店では手に入りにくい地域もあると思われるので、通販が手っ取り早いであろう。