ゲーム機を「分解して修理する」文化の衰退

そういえば、最近のゲーム機は、自分で分解しなくなったなぁとつくづく思います。


ファミコンのコントローラは故障するのが常。しかも、コントローラが本体と一体化しているので、コントローラを換えるには分解しないといけません。
ファミコンのコントローラ・パーツ交換で電子工作に興味を持った、という方も多いのではないでしょうか?
いくらコントローラが壊れても、コントローラが外付けになった今、新しいものを買うのが当然になりつつあります。
以前はボタンの裏側についているゴムがヘタったら、ゴムだけを買うことも出来ました。
アナログスティックは、コントローラにつくのが当たり前になってから、まず壊れるのはこの部分といっても良いくらい故障率が上がったパーツでしょう。
しかしこの部分に使われているのは特殊なもので、新しいコントローラと換えた方が早いこともあり、PS・SS・N64以降、コントローラのパーツを換える文化は一般的でなくなったといえます。
それぞれのパーツが複雑化および集約化され、ハードよりもソフトの故障が怖いPS2以降となると、ハードの故障は何が原因なのか、もはや常人には知り得ないレベルとなってしまいます。
ハードの故障原因1位はディスク読み取りのピックアップではないでしょうか。
こちらも、特殊パーツであり一般的に交換が出来ないシロモノです。
また、ますます内部構造のブラックボックス化が進んで、常人にはこじ開けることすらも困難になってしまいました。
少し寂しい気もしますが、技術の進歩はドライバーや半田ゴテを握る機会を確実に減らしています。
逆に自作PCの世界で息づいていると言えなくもありませんが、ゲーム機と比べると敷居の高さは否めません。
理系技術者の減少がしきりに叫ばれていますが、こうした「手軽にハードをいじれる機会」が減ったのも原因のひとつであると筆者は思うのです。

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